Saikoストーリー
幼少時代から作品制作を始め、現在へと至るSaikoのこれまでを、母有子さんのお話をもとにたどります。(聞き手・構成:門脇篤)
Saikoは不思議な人です。全部見透かされているんじゃないかって思います。
最初はふつうの子だと思っていました。顔もふつうで、わかりませんでした。2〜3歳のとき、言葉が少しおかしいと気づきました。おうむがえしで。
小学1年のときに障害があるということになって、4年生までは普通学級でしたが、それ以後は普通学級は難しいと言われました。そこで別の学校へうつることにしました。転校した小学校ではとても上手にやってくれる先生がいらっしゃいました。
小学校のころから日常をびっしりと書きつづった日記をつけていて、それはここ(アート・インクルージョン)に通うまでつづきました。ここにきて、それから「解放」されたんじゃないでしょうか。
中学校は特殊学級に入りました。そこで出会った佐々木先生は、絵を描いたり、版画を彫ったりさせてくれました。ためらいもなく、失敗もない筆運びに、「Saikoさんはどれくらいの能力を隠しているかわかりません」と言われました。
魚の絵を描き始めたのはそのころでしょうか。版画では「ゲルニカ」などの名画も彫っていました。
高校時代は弟がゲームの「ドラクエ」をやっていたので、その攻略本に載っている小さなイラストを拡大して描いたりしていましたね。
高校を卒業し、就労支援施設に入りました。やれと言われるとその通りやる人なので、熱があっても風邪をひいていても休まないんです。小学校からつづけてきた日記も、もう卒業ですと言えなかったように。
刺繍が得意で、キャラクターやお土産のがらなどをお手本通りに、こんなものが作れるのかとびっくりするようなものを作ってしまうんです。できあがるとすぐ売れてしまって、売れるからもっともっと作ってほしいと言われ、まじめで気を抜くことができないので、そこではずっと刺繍や縫い物をしていました。Saikoのがほしいと注文されて。アート・インクルージョンに入るまで、10数年間、ずっとでした。家に帰ると気が狂ったように描きたい絵を描いていましたね。
毎日毎日、キャラクターや伊達政宗と七夕なんかを繰り返し繰り返し刺繍して、どんどん売れると言われるけれど、もっと自由に、自分の好きなものを作ってほしいと、私も毎日悩んでいました。
そんなときに、相談支援センターから紹介されたのが、アート・インクルージョンでした。全くの偶然です。こういうところがあるんだとびっくりしました。
「アート・インクルージョン・ファクトリー」に通い始めたころ、ディズニーの絵ばかり描いていたというのは、前にいた施設のころの影響が残っていたからだと思います。だんだん、そういうところじゃないんだ、何かを見て真似して描かなくていいんだとさとったんだと思います。
もともと車が好きで、車が人に見えるみたいです。向こうからデコトラなんかが来ると「すごい車が来ましたよ」と大興奮で。車の肖像画を描いているんだと思います。
臨機応変にやっていて、どこか見透かされてるんじゃないかって、本当はこの人、すごい知恵者なんじゃないかって思います。
「ひょっこりひょうたん島」は、本人はテレビでは見ていないので、アート・インクルージョンで描くと誰かが喜ぶと思ったんじゃないでしょうか。中学生時代に海の生き物を描いていたのは、中学の佐々木先生が喜ぶからでした。富士山、温泉、かかし、お寺といったモチーフも、まわりの人の気持ちを汲み取ってその人たちが喜ぶだろうと描いているんだと思います。ある意味、天才なんです。
アート・インクルージョンは「異空間」というか、ちょっとお寺に雰囲気が似ているように思います。不気味な場をつくっているというか。私は不気味が大事だと思っています。光ばかりでもダメ。闇は大事なものです。
私は寺の娘で、よくお墓でひとりで遊んでいました。お寺は死者と関係していて、異空間であり、不気味な場所でもあって、そんなところでざしきわらしみたいにして遊んでいました。そういうのは、絶対に必要ですよね。目に見える世界だけじゃないというか、目に見えないものともいっしょにいるというか。
Saikoを通じて世界を見ると、いったいどっちの世界が本当なのだろうと思います。普通の世界が間違っていて、Saikoが見ている世界の方が正しいんじゃないかと思うことがよくあります。
死者や障害者など、日の当たる世界の外にも世界があって、芸術って、そういうものを目指しているんじゃないでしょうか。